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宮代の匠
ご両親が創業した宅配のお弁当屋さんを2018年に引き継いだ秋野栄作さん。経営コンサルタントをしていた経験を生かして、どんな時代にも対応できる戦略的な経営を地元宮代で展開しています。
創業当時は喫茶店でした
「弁当あき」は昭和50年の創業だそうですね。
はい、両親が結婚後、小田原から移住して宮代町で商売を始めたのが昭和50年です。最初は喫茶店として開業し、宮代町役場と日本工業大学の方たちが主なお客様だったそうです。
なぜお弁当屋になったのでしょうか?
開店後しばらくすると、東武動物公園建設のための準備室や町の議会からお弁当を頼みたいと注文が来るようになりました。次第にお弁当の需要が増えていき、私が子どもの頃はすでにお弁当専門店として営業していました。
「料理の鉄人」に憧れて
料理人を目指したきっかけを教えてください。
私が高校生の頃に見ていた「料理の鉄人」というテレビ番組の影響です。いろいろな料理人が料理で対決するというエンターテイメントにわくわくしましたし、どの鉄人も知識が豊富で格好良いと思いました。
憧れの「鉄人」はどなたでしたか?
フランス料理の坂井宏行シェフです。私は日常的に和食を目にすることはありましたが、西洋料理をじっくり見たのはその番組が初めてでした。料理を通して西洋文化に触れてみたいと思ったのが料理人を目指したきっかけです。
フランスでの修行を目指して
料理人の修行は大変でしたか?
私は調理師専門学校を卒業後、東京湾内クルーズ会社でフランス料理を作っていました。先輩にはよく怒鳴られましたが、20代のうちに自分のお店を持って独立したいと思っていたので懸命に働きました。
ドイツで修行をされていたそうですね。
フランスで修行をしたかったのですが、ドイツ帰りの先輩からのアドバイスで、まずはドイツに渡り、その後フランスに渡ろうと計画を立てました。でもドイツでの修行中、手首に大怪我をしてしまいました。手術しても完治せず、大きいフライパンを振れなくなってしまったので、フランス料理の料理人として独立することを断念しました。
現場の経験を生かしコンサルタント業で独立
帰国後はどうされましたか?
帰国後、何ヶ所か飲食店に勤務した後、それまでの現場での経験を生かせる飲食業に特化したコンサルティング会社へ入社しました。飲食関連企業の経営改善を指導する仕事です。
コンサルティング業で独立された経緯は?
料理人として独立するというのは〝自分のお店を持つ″ということだったのですが、それ以外の独立の方法を私は知りませんでした。でもコンサルティング会社で経験を積んで独立していく先輩を見ていく中で、こういう独立の方法もあることを知りました。そして29歳で独立し、「マイスター合同会社」を設立しました。
母を助けるために地元へ
なぜ宮代町に戻られたのでしょうか?
独立し、都内で7年ほどコンサルティング業をしていた頃、宮代町に住んでいる妹から連絡がありました。実家では宅配のお弁当屋に加え、日本工業大学の下宿の経営をしているのですが、母の負担が大きくなって体力的に大変そうだということでした。そこで妹が下宿を、私がお弁当屋を手伝うことにしました。
コンサルティング業はお辞めになったのですか?
最初は都内でコンサルティング業を続けながら宮代町に通う形でお弁当屋を手伝っていました。でも経営全体を見直すためにはお弁当屋に集中する必要があり、コンサルティング業を一度辞めて、専念することにしました。
お弁当屋の経営改革
経営改革はどのようにされましたか?
私が取り組んだのは発注から配達に至る全てです。特に力をいれたのが、メニューの変更、配達スタッフの増員です。そしてあらゆることを「合理化」するように心掛けました。 企業経営のコンサルティングをした経験が役に立ち、徹底した経営改革をして1年ほどで売り上げを2倍に伸ばすことができました。
すごい結果を出されましたね!
でも一番大きかったのはスタッフの協力でした。私から無理なお願いをすることがあっても、嫌な顔ひとつせずに取り組んでくれて大変ありがたかったです。またお客様にも多くのアドバイスをいただきました。本当に感謝しています。
経済の不確実性を考えておく
ところで新型コロナウイルスの影響はいかがでしょうか?
2020年の緊急事態宣言が発令された頃は、大学の売店、敬老会、スポーツ、コンサートといった集まりでの大口注文が全てキャンセルになりました。しかし2019年から商工会に紹介していただいた中小企業診断士のアドバイスに基づいて、顧客ターゲットを少しずつ変えていました。また食堂向けに真空パックにした総菜を新商品として開発し、収益構造が変わったことで、大幅な下落は避けることができたと思います。
今後の対策はどのようにお考えですか?
現代の経営で重要なことは下振れにも上振れにもすばやく対応できるように日頃から情報収集と試行錯誤を繰り返しておくことだと考えています。どんなに順調でも常にリスクを考慮し、不調の時も安易な選択は避けるように心がけています。
地域に必要とされる宅配弁当
お年寄りへの個人配達もされているそうですね。
昔、私の祖母が一人暮らしをしていて体調を崩した時に、誰にも助けを求められず、数日何も食べられなかったことがありました。母はその時の事がずっと引っ掛かっていて「一人暮らしのお年寄りにお弁当を宅配したい」と思っていたそうです。そこで、私が経営に携わるようになってから全体的な改革を行い、スタッフの理解と協力を得て個人宅への配送を事業化することができました。
お母さまの夢を叶えられたのですね。
毎日の食事が何とかなれば、家で過ごせるご高齢の方も多いと聞きます。祖母が数日食べられなかった時に、それに気づいた近所の方が温かいおでんを差し入れてくれたそうです。母は自分がそのご近所さんのようになりたいとずっと思っていたので、今では夢が叶ったと言っています。これからも、宅配のお弁当屋として地域の見守りを続けていきたいと思います。
健康食コーディネーターの資格をお持ちだそうで。
はい、ご高齢のお客様に継続的にお弁当を食べていただくことを考えて勉強しました。メニューには食物繊維を多く含んだごぼう、きのこ類、海藻類を多く取り入れるようにしていますし、ご高齢の方が食べやすいように刻み食にも対応しています。
景色に溶け込む特別な料理を
仕出し料理がきれいですね。
私は絵を描くのが好きなので、特別な日のお弁当の注文を受けた時には、お弁当のある景色を引き気味に見ながら考えるようにしています。料理を作る時に1番大切にしていることは、その場の雰囲気や景色にどこまで料理を溶け込ませることができるかです。
「弁当あき」のこだわりは何でしょうか?
おいしいご飯です。お米は宮代産のものを使い、味を落とさない精米方法にこだわっています。昔、宮代町初代町長の斎藤甲馬さんに「あきさんのお弁当はご飯がおいしい」と褒められたことがあるそうで、それが今でも両親の自慢です。おいしいご飯をみなさんにお届けするのが「弁当あき」のこだわりであり、誇りなのです。
これから宮代町で起業する方へのメッセージをお願いします。
宮代町の立地をとことん調べて需要を探ることです。自分がやりたい事と住民の皆さんが喜んでくれることをマッチングさせていくことが大事だと思います。
※この記事は2020年12月に取材したものです。
秋野 栄作(あきの えいさく)
昭和56年 埼玉県宮代町生まれ
酉年・乙女座・AB型
マイスター合同会社 代表
配達弁当・仕出し料理 あき 店舗責任者
日本酒きき酒師、国際日本酒きき酒師、健康食コーディネーター
好きなことは夜のドライブ。好きな食べ物はケーキ。
配達弁当・仕出し料理 あき(配達専門店)
営業時間
月~金 7時~15時
土 7時~12時
定休日 日曜(予約のみ対応)